タコジイーが行く

定年後まだまだ先の長い人生を どう乗り切って行ったら良いのでしょうか・・・

コロナ浄化で 和歌山県「熊野本宮大社」へ・・・

 今回は、まだまだ続く新型コロナウィルスの浄化も兼ねて和歌山県「熊野本宮大社」
バイクツーリングに行ってきました。
 自宅から国道43号線に出て大阪府を抜け奈良県の端に当る十津川村に入ったころから道はバイクツーリングには気持がよいワインディングロードが続きます。
走り出して約3時間ほどで、先ず「谷瀬の吊り橋」に到着しました。
ここは、日本有数の長さを誇る鉄線のつり橋。巨大なつり橋は長さ297メートル高さ54メートル。そびえ立つ深い山々に囲まれ、眼下には清澄な十津川(熊野川)が流れ
まさに絶景です! 最高のロケーション。

私は、高い所が苦手で歩くたびにゆらゆらと揺れるつり橋を渡る気がしません。
おまけに垂れ幕には、大きく20人以上わたれませんと書いてあるではありませんか⁉

  

「谷瀬の吊り橋」を後に国道168号線に戻り、少しお腹がすいてきたため途中、道の駅「十津川郷」に寄りました。
串に刺したこんにゃくを買い 横にある天然温泉の無料足湯に入り休憩をとりました。
この串に刺したこんにゃくは、味がよくしみていてカロリー抑え目で還暦を過ぎた私にはピッタリでした。    

 

 休憩後体力を取り戻し、再び国道168号線を奈良県の境目から和歌山県に向け
深い山々を抜けてひたすら「熊野本宮大社」目指して往くのです。

いつの間にか和歌山県田辺市内に入っていることに気づいた頃
いよいよ待望の聖地「熊野本宮大社」に到着です。
 先ずは、上四社をお祀りしている「熊野本宮大社」からお参りしました。
参道入り口の鳥居は、神が宿る神域と人間が住む俗界との結界を表しており。
鳥居をくぐる前に一礼し、参道の中央「正中」は神様のお通りになる道なので、右端を登り、左端を下るのが作法ですね。
杉木立の中、158段の石段を一歩一歩上るにつれ心は静まり、神域へと近づく思いです。

 

上まで上がった所の手水舎で、手と口をよくすすぎ清めたあと。

   

神殿内の参拝順序は、①証誠殿(本宮・第三殿) 家津美御子大神(素戔嗚尊)

          ②中御前(結宮・第二殿) 速玉大神
          ③西御前(結宮・第一殿) 夫須美大神
          ④東御前(若宮・第四殿) 天照大神
          ⑤満山社         結ひの神(八百萬の神)
また、日本サッカー協会のマーク「八咫烏」もこちらに祀られており、日本を統一した神武天皇を、大和の橿原まで先導したという神武東征の故事に習い、導きの神として篤い信仰があります。記念に御朱印帳を購入しました。              

次に、国道を渡り熊野川の畔に見える「大斎原」社殿跡を訪れることにしました。
広々とした田畑の向こうに荘厳と構える大鳥居がそびえておりました。
その奥にある森からは、きっと古からのパワーが発せられていることでしょう。
大斎原の奥は聖地にあたるため写真撮影は禁止となっていました。  

    

 歴史を遡ると、古代本宮の地に神が降臨したと伝えられています。
三本の川の中州にあたる聖地、大斎原に社殿が建てられたのは、崇神天皇65年(紀元前33年)のことでした。奈良時代には仏教を取り入れ、神=仏としてお祀りするようになります。
平安時代になると、皇族・貴族の間に熊野信仰が広まり、京都から熊野古道を通って上皇や女院の一行が何度も参拝に訪れました事は広く知れ渡っております。
明治22年の大洪水により、大斎原は大きな被害を受けました。当時は能舞台などもあり、今の8倍の規模を誇っていましたが、明治24年に上四社が現在地へ移されたそうです。
その後、平成23年の台風12号豪雨被害により、再び大きな被害を受けました。
しかし、平成26年には瑞鳳殿が再建されるなど以前にも増した復興を遂げ、現在に至ります。
一通り参拝を終え国道沿いの食堂で腹ごしらえを終えた後は、帰りの体力回復のため温泉に入りたくなりました。
綺麗で最高の露天風呂付の温泉施設でした。施設の方に尋ねると平成23年の台風12号豪雨被害でこの辺りまで被害がひどく出たため、その時建て替えされたそうです。

   

一服して汗が引いたところで、いよいよ帰路に就くことにしました。
帰りは、国道311号線で和歌山県を西側に大きく迂回ながら、途中から高速道路に乗り、一気に自宅まで走り続けました。
愛車のバイク(HONDA XR400R)は、風に弱いため高速走行はどちらかといえば苦手ですが、タフなエンジンのため心地よい音を奏で続けて無事帰宅しました。


ツーリングを終え
 新型コロナウィルスの影響で、1か月以上続いた在宅勤務が、思っていたより体力低下を誘発していたことに痛感しました。
関西圏は6月から県をまたぐ移動緩和の対象となっていますが
まだまだ、至る所で自粛ムードが残っておりました。
 聖地「熊野本宮大社」は大古の昔から数々の困難を受入れ、現在に至ることも事実です。
その場所に立ち入らせていただき、改めてパワーを得ることができたことに感謝します。
今の私にとって神社は、いつの間にか最終的な心の拠り所であるような気がします。


本日の走行距離は約400km程でした。 疲れた~ 今晩はグッスリ寝れそうです。
では皆様、また機会がございましたら・・・

コロナで変わる

新型コロナウイルスが浮き彫りにした社会の姿について
国が不要不急の外出自粛などを求めた感染拡大防止策を通じて
「何が『要』で何が『急』なのか、常識が変わっていくのではないか」と将来を見通し、
都市と地方の関係や働き方が見直される契機になると考えられます。
外出や営業の「自粛」について「本来は自分で考えるはずの『自粛』なのに、いつの間にか強制されて、訳の分からないことになった」と指摘される方も多いのでは。
集団の中で思考力が弱まっている現状に、どうなっていくのでしょうか。


 しかし、巷では前向きに楽しんでいる様子も伺えます。
私も ついこの前までは、会社仲間と毎晩のように飲み歩いていたことが思い出されます。
もう少し先を考えるだけの余裕が欲しかったです。

< フルフェーイスシールト飲み会 >

コロナ自粛でも 季節は移り変って行きます

 コロナウィルス感染防止の自粛等も見直され、1か月半ぶりにやっと慣れてきたテレワークからも解放されました。
久しぶりに出社してみると、私がパート社員とは知らずに、新入社員の一人がわざわざ近づいてきて大きな声で挨拶を掛けてきました。
禿げ上がった私の頭をみて、上長と勘違いしいるみたいでした。
私はつい、前の会社の習慣で少し低めの声で「おはよう!」と
心なしか胸を張り偉ぶって挨拶を返した自分が、何故か気恥ずかしく感じました。
仕方ないですねえ~ 長い間 社畜のようにがっばてきた人生観が染み付いるのです。
形だけ第二の人生に切り替えても、まだ少しばかり時間がかかりそうです。
 会社からの帰りに少し寄り道をして、この辺りの住宅街では珍しい小さな「田んぼ」を見に行きました。丁度、田植えの前らしく綺麗に水が張られておりました。


いつの間にか季節は移り変わり、世間ではもう少し「不要不急」の自粛ムードが続きそうですが、 私も不要にならないように頑張ります。